2008年10月31日金曜日

「富岡鉄斎 仙境の書」と儒教


富岡 鉄斎(とみおか てっさい、1837年1月25日(天保7年12月19日)- 1924年12月31日)は、
明治・大正期の日本の文人画家、儒学者。日本最後の文人と謳われる。



鉄斎は、京都で生まれ、京都で亡くなる90年間の生涯で
一万点以上の作品を残したといわれている。

しかし、彼は自ら「わしは儒者じゃ」と語り、画工とみなされることを嫌ったのだと言う。

いきなり話が横道にそれるが、
では、「儒教」とは一体どんなシロモノなのか。



孔子の説いた儒教(儒家思想)は、紀元前の中国に興ってから2000年以上に渡って
東アジアで強い影響力を持ってきた思想だ。

具体的に言うと、儒教は「忠義」や「孝行」を重んじ、
人間の上下関係や、家族、友を大事にするという、という傾向が強い。



儒教の教義は、
五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより
五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。

五常
仁ー人を思いやること。孔子は仁を最高の徳目としていた。
義ー恩に報いる
礼ー仁を具体的な行動として表したもの。人間の上下関係で守るべきこと。
智ー学問に励む
信ー親睦を深める



さらに儒教が現在の中国、朝鮮、日本においてどのように取り入れられているかをみていくと、
儒教が社会に対してどんな影響を与える物なのかがもっとよく見えてくる。


中国
中国では近年、「儒教は革命に対する反動である」として弾圧され、特に文化大革命期には徹底弾圧された。
これは儒教思想が、社会主義共和制の根幹を成すマルクス主義とは相容れない存在と捉えられていたためである。
21世紀に入ると儒教は弾圧の対象から保護の対象となり再評価されつつある。

朝鮮
儒教文化が深く浸透した儒教文化圏であり、現在でもその遺風が深く残っている。
それだけに、恩師に対する「礼」は深く、先生を敬う等儒教文化が良い意味で深く浸透しているという意見もある。
一方で、儒教を歴代の為政者が群集支配をするために悪用してきた弊害も存在しているという意見もある。

日本
かつての日本的儒教=朱子学の思想は、武士や一部の農民・町民など限られた範囲の道徳であったが、
近代天皇制のもとでは国民全体に強要された。
軍部の一部では特に心酔し、二・二六事件や満州事変にも多少なりとも影響を与えたといわれている。
第2次世界大戦後、支配者に都合のよい前近代的な思想として批判を受け、影響力は弱まったが、
現代でも『論語』の一節が引用されることは多く、日本人にとっては親しまれている存在である。


なお、儒教を思想とみなすか宗教とみなすかでは見解が分かれているらしいが、
基本的には神の存在を完全に否定している事から、宗教として扱われるものではない
という見解が圧倒的に多い。
(以上、主にwikipediaー儒教を参照。)



話を戻す。

鉄斎はあくまで儒者が本職であり、絵画は余技だと考えていた。

儒教には学問に励むという教え(五常でいう智)があるけど
たぶん、”学問”の中に美術は含まれていなかったということだと思う。

しかし、画業を本業としなかったからこそ
自由奔放に絵を量産できた、という見方もできる。

鉄斎の絵にある風通しの良さのようなものは
そういったところから来るのかもしれない。