2008年10月24日金曜日

BDとマンガと私。

10/13に、BDと漫画文化に関するシンポジウムに参加しました。
(BD=バンド・デシネ、略してベーデー、またはベデ。フランス語圏の漫画みたいなもの。)

このシンポジウムは京都マンガミュージアムで開催されている
「フランス語圏のマンガ—バンド・デシネの歴史と展開」展の開幕を記念して開かれたものです。


『Samurai(サムライ)』の原作者ジャン=フランソワ・ディ・ジョルジョ氏と
作画家フレデリック・ジュネ氏、
『L’Écorché(皮をはがれた男)』の原作者フローラン・ジェルメーヌ氏、の3人が来ていて
BD研究者の原氏の通訳を通して、いろいろ話を聞かせてくれました。


僕がBDを読み始めたのは
(...といってもフランス語はわからないから絵を眺めるだけだけど)
大学に入ってからだったと思います。
はじめはメビウス(BD界の大巨匠)のことも知らなかった。

メビウスの絵。

BDは”アルバム”って呼ばれる絵本のような形式で出版するのが主流なんですが
一冊単価が結構高いから、学生の頃はよく食費を削って
中野のパピエで買っていました。


たぶん、日本人だったら
ジブリの宮崎駿や、AKIRAの大友克洋は知ってても
BDは見たことない、という人は結構多いと思います。

でもたぶん、BDがなかったら
今頃その2人も違うかんじの作品を作ってたんじゃないかと思う。
特にメビウスの存在はでかいはずです。
手塚治虫の画風も、一時期メビウスへの傾倒が見られたりします。

ちなみに、宮崎駿とも交流があり
メビウスの娘さんはナウシカという名前だそうです。


メビウス×宮崎駿の対談


アメリカを中心にしたコミック文化
フランス語圏を中心にしたBD文化
日本を中心にした漫画文化

この3つにはそれぞれ違った良さや面白さがありますが
最近はお互いの間で交流があってコラボ作品なんかも生まれています。
もちろん、それ以外でも「漫画的」なものは世界中にあります。


僕は、漫画家やアニメーターというのは
職業である前に、人間に備わったひとつの性向、性質のようなものだと思っています。
だから当然、そういうものの始まりというのは
漫画の歴史が始まる遥か以前にあっただろうし、
それは今でも、誰でも持っているようなものなのではないかと思います。

『Samurai(サムライ)』作画家フレデリック・ジュネ氏は
ちょうど僕と同じ年だったんですが、
彼の作品を見ていると、言葉は通じなくても
やはり絵や線から伝わる物がたくさんありました。

まあ、そもそも言葉にできないから絵を描くわけですが
こういったコミュニケーションは言語にはない深度があると思います。

もちろん、ある部分では自分と対称的だなと思うところや
これは俺には描けないな、と思うところもたくさんありました。

そういう所を探っていくと、
(これまた言語化しづらいんですが)
ある程度、自分の思考(あるいは「漫画」の思考)
を客観的に意識できたりします。

次はそのへんのことをもう少し掘り下げたいと思います。