2008年10月4日土曜日

続 カ ー ゴ ・ カ ル ト

この間書いたカーゴ・カルトのことが
まだなんとなくひっかかっている。

wikiによると、現在「カーゴ・カルト」という言葉は

●模倣行為、または、思慮不足の為に行った無駄な努力・儀式
●表層にだけ拘り実態を見ない行為

としても使われているらしいが
しかし一方で、「カーゴ・カルト」という概念自体が
西洋人の錯覚だ、というような意見もあるらしいのだ。

「カーゴ・カルト」という言葉は
「インディアン」と同じような
大きな誤解に基づいた言葉なのか?


ネットで検索すると
wikiよりは多少詳しい情報もみつかったが
内容が浅すぎるか、逆に文章が難しすぎて、まだ腑に落ちない。
(ものごとを難しく説明する人って、あたしきらい。)


これはあくまで僕の勘でしかないんだけど
カーゴ・カルトと呼ばれることになった
メラネシアの原住民たちの視点に立つと
「世界残酷物語」で描かれていたものとは
ちょっと違った景色が見えるような気がする。

少なくとも、彼らの行為が
「思慮不足の為に行った」ものだった
と結論づけるのは短絡的な気がする。


ネットでカーゴ・カルトを調べるうちに
まず手始めに、レヴィ・ストロースという学者が
一体どういう学者だったのかを調べた方が良さそうだ
というヒントを得たので
彼がとなえた「構造主義」から調べることにした。

(つづく)